不登校開始
休み時間の孤独と風邪、先生の叱責により不登校になった小学5年生の夏。
すっかり精神的にも落ち込んでしまい、塾や習い事も行けない状態になっていました。親には申し訳ないけど。
学校に行かなくなったことによって、完全に取り残された感覚にも陥りましたが、すでに私の中で学校=恐怖の場所。
もうとても登校なんてできない・・・。
しばらく休んでいる私のことを、みんなは変に思っているんだろうなと思うと、知り合いに会うのも怖くて家から出歩けなくなってしまいました。
元々親は私のことを有名な私立中学へ入学させるために努力してきたため、私のことを学校へ行かせるために必死でした。
親の学校行ってほしい気持ちはすごく伝わってくるのですがそれが辛かったのを覚えています。
そして数回のカウンセリングと検査を行い、私はうつと対人恐怖症と診断されました。
朝は起きれなくなり、食欲もなく口数も減りました。
正直不登校になってから家にいる期間はあまり記憶がありません。
うつの薬が効かなく何度か薬を変えて試していた気がします。
それから結局私は1度も小学校へ行くことなく卒業してしまいました。
公立中学入学へ
親が入学予定の中学校に、事前に私の状況を説明し、配慮してもらえるように相談してくれました。
私も環境と人が変われば少しはマシかと思いましたが、もう同年代の子とどうやって接したらよいのか分からず、普通に話すこともできなくなっていました。
不登校の普通ではない私が、普通の子と同じように過ごせないという決めつけもありましたが、周りの子達が別の国の子のようにも感じていました。
結局入学式だけしか行けず、中学1年生を終えてしまいました。
適応指導教室との出会い
小学5年生から中学1年生まで約3年間引きこもり生活。
中学1年生の後半、久しぶりに病院に行くと、カウンセラーの方に、適応指導教室やフリースクールに通ってみないかという提案があり検討することに。
学校に戻るための訓練みたいたところ?と言われました。
同年代と話すとか無理。でもこの3年間何もしてなかったし嫌だったらすぐ辞めればいいや。と気軽に考えるようにし、中学2年生から通うことを目標にしました。
私が住んでいる地域ではフリースクールがいくつかありましたが、通った分出席日数にカウントされる適応指導教室に通うことにしました。
適応指導教室の先生達は本当に人格がすばらしく、生徒が傷つく言葉を言わないのはもちろん、常にフォローしていくことを考えているようで苦手だと感じる先生はいませんでした。
対人恐怖症で同年代の子との関わりが怖かった私でしたが、同じような境遇の子が何人もおり、不思議とその子達とは仲良くなれました。
特にこれといった問題もなく割と楽しく過ごすことができ、なんと中学2年生での適応指導教室は皆勤賞。
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